小野田セメント事件(退職勧奨)

小野田セメント事件 事件の経緯

レッド・パージ(戦後における日本共産党員とその支持者に対する解雇)に関連して、会社は1名の従業員に対して、退職を勧告する方針を決定しました。

会社は労働組合と協議を行い、従業員に対して、通常の退職金に加えて特別退職金と解雇予告手当相当額を支払うことを条件として、労働組合は退職の勧告について承認しました。

会社は、次の内容を記載した通告書を作成して、これを従業員に明示して、退職を勧告しました。

従業員は承知して、その翌日に退職届を会社に提出しました。

しかし、約6年が経過した後に、退職した者が、退職の意思表示は公序良俗違反や強迫によるもので無効であると主張して、雇用関係が存続することの確認を求めて、会社を提訴しました。

小野田セメント事件 判決の概要

原審(一審)の判断は正当であって、雇用契約の解約の意思表示には任意性が認められる。また、雇用契約の合意解約が公序良俗に反し、若しくは、通謀虚偽表示や強迫によるものとは認められない。

山口地裁(原審)

会社による意思表示の法律上の性質について、従業員は一方的な解雇通告であるから、退職願を提出したとしても、雇用契約の合意解除が成立する余地はないと主張する。

しかし、会社による意思表示の趣旨は、従業員に対して、会社が設定した期日までに雇用契約の合意解除を申し込むと共に、期日までに退職願が提出されないときは解雇するというものであった。

そうすると、従業員が期日までに退職願を提出すれば、雇用契約はその提出日に承諾したものとして合意解除が成立し、その効力を否定する特別の事由がない限り、雇用関係は消滅する。

したがって、解雇の効力が生じる余地はなく、従業員は退職願を提出して、合意解除の申込みを承諾したのであるから、雇用契約は合意解除したと認められる。

従業員は退職願を提出したとしても、公序良俗違反、通謀虚偽表示、強迫によるもので、退職の意思表示は無効であると主張するので、これらの点について順次判断する。

雇用契約の合意解除をすることは当事者の自由であり、合意解除の申込みに対して、退職願を提出すれば、承諾したものとして、合意解除が成立する。

しかし、強行法規違反(公序良俗違反)とか、意思と表示との不一致(通謀虚偽表示)とか、瑕疵のある意思表示(強迫による意思表示)とかの事由がある場合は、民法の原則に基づいて、退職の意思表示は無効又は取り消すことができる。

この法理は、特別法である労働法に特別の規定がない限り、労働法の分野にも当てはまる。また、これらの法律要件についても、民法の原則と同様と考えられる。

従業員は、窮地に立たされて退職願を提出したもので、公序良俗に反する行為で無効であると主張する。これは民法第90条の窮迫行為を主張するもので、他人の無思慮や窮迫に乗じて不当な利益を獲得する行為(窮迫行為)は無効となる。

しかし、会社による合意解除の申込みに対して、従業員は承諾するかどうか自由に意思決定できる状態で、承諾しないことも可能であったことから、窮地に立たされて退職願を提出したとは認められない。したがって、民法第90条によって、雇用契約の合意解除を無効とすることはできない。

次に、従業員は、本件の合意解除は通謀虚偽表示であって、無効であると主張する。通謀虚偽表示には、虚偽であると自覚しながら意思表示をするだけではなく、虚偽の意思表示をすることについて、双方が合意していることが必要である。

しかし、従業員と会社が合意して虚偽の意思表示をすることは考えにくい。また、それを示す具体的な事実は認められない。したがって、通謀虚偽表示によって、雇用契約の合意解除を無効とすることはできない。

更に、従業員は、会社から強迫されてやむを得ず退職願を提出したものであるから、退職の意思表示は取り消すことができると主張する。強迫とは、強迫者が相手に害悪が生じることを示して、相手が恐れて、これによって意思表示をさせようとする行為である。

前に説示したとおり、従業員は合意解除の申込みを承諾しないことが可能で、自由な意思決定によって承諾したことが認められる。従業員が退職願を提出するよう強迫された事実は認められないし、会社に従業員を強迫する意思及び会社が従業員を強迫した事実は認められない。

以上により、従業員の主張は認められない。

小野田セメント事件 解説

会社が退職勧奨を行って、従業員がそれに応じて退職届を提出したのですが、後になって従業員だった者が退職の無効を主張した裁判例です。

会社が従業員を解雇するときは、正当な理由が必要で、それが認められないと、解雇は無効になります。現在は、労働契約法によって、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」と規定されています。

労働契約法が制定される前から、この考え方が定着していて、裁判によって、解雇が無効と判断されると、解雇はなかったものとして、雇用関係が存続していることになります。その結果、従業員は職場に復帰することになりますが、それだけでは済みません。

雇用契約とは、従業員が勤務をして、その代償として、会社が賃金を支払うという契約です。

雇用契約(雇用関係)が存属していたことになりますので、解雇時にさかのぼって会社は賃金を支払う義務があります。従業員が勤務できなかった責任は会社にありますので、勤務し続けたとみなして、仮に、裁判で2年後に解雇が無効と判断されたときは、2年分の賃金を支払わされます。

解雇にはこのようなリスクがありますので、慎重に行うべきです。

職場で、横領、窃盗、傷害等があった場合は、職場の同僚の大多数の支持が得られる行為ですので、解雇は認められやすいです。

しかし、能力不足や協調性不足等の従業員については、程度によっては解雇が認められますが、判断が難しいです。会社が繰り返し指導や教育をして、改善が見込まれないとしても、程度の問題となりますので、解雇は有効と確信できるケースは少ないです。

そのような場合に検討するのが、退職勧奨という方法です。労働契約は、従業員と会社が合意して成立しますが、従業員と会社が合意して解約するケースもあります。解雇は会社が一方的に行う行為、自己都合退職は従業員が一方的に行う行為で、双方の合意は必要としません。

会社から従業員に退職するよう勧奨して、従業員が応じれば退職(合意解約)が成立します。従業員にメリットがなければ応じることは考えにくいので、通常は数ヶ月分の賃金相当額を支払うことを条件とします。

従業員が退職勧奨に応じた場合は、それを明らかにするために、退職届を提出してもらいます。従業員が「退職届は提出したくない」という場合は、退職するという意思表示が記載されていれば、表題は「確認書」でも何でも構いません。

しかし、この裁判でも争点になったように、民法の原則に基づいて、公序良俗違反、通謀虚偽表示、強迫による意思表示と認められると、その意思表示(退職勧奨の承諾)は無効又は取り消すことができます。

強迫については、危害を加える言動をして相手を恐れさせる行為で、一般的にもイメージできると思います。この裁判では争点になりませんでしたが、騙したり、勘違いをさせたりして、退職届を提出させた場合も詐欺として、取り消すことができます。

通謀虚偽表示については、例えば、仕事で失敗をした部下に対して、上司である課長がその部下に、「反省していることを部長に示すために、退職届を書け!」と言って、そのまま退職させるようなケースです。退職届は形だけで、上司も部下も本心は退職の意思がないことを自覚している場合は、無効になります。

公序良俗違反については、例えば、「今ここで退職届に署名をすれば、100万円の退職金を加算する」と言って、窮迫した状態で行った意思表示は無効になります。

会社が退職勧奨を行う際は、このような指摘を受けないように注意をする必要があります。