電通事件

電通事件 事件の経緯

従業員は入社して4ヶ月が経過した頃から、残業をして深夜に帰宅することが多くなり、社内で徹夜をして帰宅しない日もありました。

従業員の主な業務内容は、関係者との打合せ、及び、企画書や資料の作成でしたが、所定労働時間内は関係者との打合せで占められて、企画書等の作成は終業時刻以降にしかできませんでした。

そのため、従業員は長時間の残業が常態になって、残業時間は常に36協定の上限時間を超えていました。従業員は会社に残業時間を申告することになっていましたが、実際に行った残業時間より過少に申告していました。

上司はそのような状況を認識していましたが、従業員に対して、期限までに業務を完了させることを前提として、帰宅して睡眠を取って、業務が終わらなければ翌朝に早く出勤するよう指導しただけで、従業員の業務量を調整することはありませんでした。

反対に従業員の業務量は増加して、入社して1年3ヶ月が経過した頃には、出勤したまま帰宅しない日が更に多くなって、帰宅しても翌日の午前6時30分や7時頃で、午前8時頃に再び自宅を出るという状況になっていました。

同居の両親が従業員を車で最寄り駅まで送ったりしていましたが、従業員は疲労困憊した状態になって、勤務時間中、元気がなく暗い感じで顔色が悪く、目の焦点が定まっていないことがありました。この頃からうつ病に罹患していたと考えられ、従業員は自宅で自殺しました。

従業員の両親が、会社が安全配慮義務を怠っていたと主張して、損害賠償を支払うよう求めて会社を提訴しました。

電通事件 判決の概要

従業員が長時間の残業を継続的に行ったりして、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、心身の健康を損なう危険があることは広く知られている。

このような危険が発生することを防止するために、労働基準法では労働時間に関する制限を設けていて、労働安全衛生法第65条の3では従業員の健康に配慮して作業を適切に管理するよう努めることを義務付けている。

これらのことから、会社が従業員に従事させる業務を管理する際は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷が過度に蓄積して、従業員の心身の健康を損なわないよう注意する義務がある。

更に、会社に代わって従業員に対して業務上の指揮監督を行う権限がある者は、会社の注意義務の内容に従って、その権限を行使するべきである。

事実経過に加えて、うつ病の発症等に関する知見を考慮すると、従業員の業務の遂行とうつ病の罹患による自殺との間には相当因果関係があると認められる。

また、上司は、従業員が恒常的に著しく長時間の残業をしていること、及び、健康状態が悪化していることを認識しながら、負担を軽減するための措置を採らなかったことについて過失がある。

ところで、身体への加害行為を原因として被害者が損害賠償を請求する場合、裁判所は、加害者の賠償額を決定する際に、損害を公平に分担するという損害賠償法の理念に照らして、民法第722条第2項の過失相殺の規定を類推適用して、損害の発生や拡大に影響した被害者の性格等の心因的要因を考慮して、賠償額を調整することができる。

この趣旨は、従業員の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同じである。

しかし、会社に雇用される従業員の性格が多様であることは言うまでもない。ある業務に従事する特定の従業員の性格が、同種の業務に従事する従業員の個性として通常想定される範囲内で、その性格が業務の過重な負担によって従業員に生じた損害の発生や拡大に影響したとしても、そのような事態は会社として予想するべきである。

しかも、会社や会社に代わって業務上の指揮監督を行う者は、各従業員が従事する業務に適しているかを判断して業務内容等を定めているから、その際に、各従業員の性格を把握できる。

したがって、従業員の性格が通常想定される範囲内である場合は、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において、会社の賠償額を決定する際は、その性格を心因的要因として、賠償額を調整することはできない。

これを本件に当てはめると、従業員の性格は一般の社会人にしばしば見られるタイプの1つで、上司は従事する業務との関係で従業員の性格を積極的に評価していた。

従業員の性格は同種の業務に従事する従業員の個性として通常想定される範囲内であったと認められるから、会社の賠償額を決定する際に、従業員の性格を理由として、賠償額を調整することはできない。

また、従業員の損害は業務の負担が過重であったことが原因で生じたもので、従業員は大学を卒業して会社に入社して独立の社会人として自らの意思と判断に基づいて会社の業務に従事していた。

両親は従業員と同居して、従業員の勤務状況や生活状況をほぼ把握していたとしても、従業員の勤務状況を改善する措置を採り得る立場にはなかった。

会社の賠償額を決定する際に、両親が具体的な措置を採らなかったことを理由として、賠償額を調整することはできない。

電通事件 解説

従業員がうつ病に罹患して自殺しました。過重労働が第一の原因であるとしても、うつ病の罹患は従業員の性格が影響すること、同居の両親が自殺を防止するために具体的な措置を採らなかったことを理由にして、損害賠償額を過失相殺できるかどうかが争点になりました。

民法では「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる」と規定されていて、上の2点が過失に該当するかどうかということです。

一審の東京地裁では会社に約1億2600万円の損害賠償の支払いを命じて、二審の東京高裁では従業員の性格や同居の両親の対応を理由に3割減額(過失相殺)して約8900万円の損害賠償の支払いを命じました。

従来の過労死は、過重労働によって、脳や心臓の疾患を発症して死に至るケースが典型例として知られていました。この裁判は、うつ病(精神疾患)から自殺に至ったケースで、本人の意思や行動が介在している所が、脳や心臓の疾患とは異なります。

なお、労災保険法では、「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは、政府は、保険給付を行わない」と規定されていて、故意に死亡した場合は労災保険が適用されません。

現在は、過重労働からうつ病を発症して自殺に至った場合は、「過労自殺」として周知されていますが、その発端となった裁判例です。

過重労働等によって睡眠時間が減少すると、うつ病(精神疾患)を発症して、衝動的・突発的に自殺に至るケースがあることが分かっています。その場合は、故意(本人の意思で行ったもの)ではないと考えられています。

また、うつ病(精神疾患)は、真面目で責任感が強い人や完璧主義の人が発症しやすいことが知られていて、同程度の過重労働をしても、うつ病(精神疾患)を発症しない人もいて個人差があります。

その点について、裁判所は、従業員の性格が個性として通常想定される範囲内である場合は考慮するべきではないと判断して、損害賠償額の過失相殺を認めませんでした。

会社は個々の従業員の性格や能力を把握して、それに合った部署(業務)に配置します。その際に、うつ病を発症しやすい性格かどうかを把握できますので、会社は予測して対応するべきであると示しました。

したがって、会社や上司は、通常想定される範囲内で、最も心身の健康を損ないやすそうな人を基準にして配慮する必要があります。

また、同居の両親の対応についても、うつ病は会社での長時間労働が原因で、両親はそれを改善できる立場にないことから、損害賠償額の過失相殺を認めませんでした。

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